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about GEORGE CHAKIRIS

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​George Chakiris / ジョージ・チャキリス
Actor, Designer / アクター、デザイナー
​Nationality: U.S.A. / 国籍:アメリカ

ジョージ・チャキリス(George Chakiris)

1932年9月16日 オハイオ州ノーウッド生まれ

 ギリシャ人の両親と姉3人、兄1人、弟、妹という大家族に恵まれ、幼いころに父親の仕事の関係でフロリダ、アリゾナと引っ越しを繰り返すが、カリフォルニア州ロングビーチに落ち着き少年時代を過ごす。ここで所属していた聖歌隊がMGM映画『愛の調べ』(1947年 クラレンス・ブラウン監督)に出演したことが大きなきっかけとなり、将来は俳優になりたいという夢が膨らむ。高校卒業後はハリウッドへ一人で転居、昼間はデパートの広告部で働き、夜はダンススクールに通って映画界デビューを目指す。

 

『ドクターTの5000本の指』(1953年 ロイ・ローランド監督)での本格デビュー後は、『紳士は金髪がお好き』(1953年 ハワード・ホークス監督)ではマリリン・モンローと共演、さらに『ホワイト・クリスマス』(1954年 マイケル・カーティス監督)ではジョージ・クルーニーの叔母ローズマリー・クルーニーと踊ったシーンが話題になり、全米で「あの素敵な人は誰?」と人気沸騰。

 1958年、活動の拠点をニューヨークに移すと、当時大人気の舞台版『ウエスト・サイド物語』のオーディションに合格。ロンドン公演でのジェット団のリーダー・リフ役を獲得。2年近くイギリスでの公演中、映画化の計画が持ち上がり、原作者ジェローム・ロビンスに誘われオーディションを受けるとシャーク団のリーダー・ベルナルド役を得る。

 

 映画『ウエスト・サイド物語』(1961年)は世界中で大ヒット、日本でも当時、丸の内ピカデリーにおいて約1年5か月ものロングラン上映。1962年、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞で助演男優賞に輝くと、同年8月5日(奇しくもマリリン・モンローが亡くなった日)に『あしやからの飛行』(1964年 マイケル・アンダーソン監督)の撮影のため初来日。滞在中は雑誌やテレビなどに出演するなど、日本国内でも”チャキリスブーム”を巻き起こす。

 

 その後は『ブーべの恋人』(1964年 ルイジ・コメンチーニ監督)、『633爆撃隊』(1964年 ウォルター・E・グローマン監督)、『パリは燃えているか』(1966年 ルネ・クレマン監督)、『ロシュフォールの恋人たち』(1967年 ジャック・ドゥミ監督)などの多くの作品に出演。

 

 初来日以降は日本での劇場公演、テレビドラマ、コンサートなど積極的に出演。『白蝶記』(1979年 東京宝塚劇場)、『日本の面影』(1984年 NHK)、『蝶々さん』(1985年 TBS)での活躍からもわかるように、日本への憧憬は今もいっさい変わることなく、プライベートでも頻繁に来日して古くからの友人たちと交流が続く。

 

 2011年、ハリウッドのチャイニーズ・シアター広場において、『ウエスト・サイド物語』共演者のリタ・モレノ、ラス・タンブリンと共に手形と足形を刻むセレモニーを行う。

 

 そして2021年、映画『ウエスト・サイド物語』初上映から60周年を迎え、著者『MY WEST SIDE STORY』(2021年3月1日アメリカLYONS PRESS刊)の日本語翻訳版、『わたしのウエストサイド物語』(2021年12月9日双葉社刊)を発表した。

​ジョージ・チャキリス:アクター、デザイナー  日本公式ブログサイト 
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